昭和51年05月19日 朝の御理解



 御理解 第78節
 「神の機感にかのうた氏子が少ない。身代と人間と達者とがそろうて三代続いたら家柄人筋となって、これが神の機感にかのうたのじゃ。神の機感にかなわぬと、身代もあり力もあるが、まめにない。まめで賢うても身代をみたす(尽くす)ことがあり、また大切な者が死んで、身代を残して子孫をきらしてしまう。神のおかげを知らぬから、互い違いになってくる。信心して神の大恩を知れば、無事達者で子孫も続き身代もでき、一年まさり代まさりのおかげを受けることができるぞ。」

 昨夜、月次祭が終わってすぐ私休ませて頂いて、休ませて頂いておりましたら、杉田さんが見えられて私の居室の部屋にやってみえて、ここではあまりだからというて応接間で、私もまたあちらへ出させてもろうて、みんなは子供達はもうほとんど寝らんなりにおかげ頂いた。私はしばらく休ませて頂いって。まぁ色々お話しを聞いたりさせて頂いたりしたことでございましたけれども、中々やっぱりあぁして有名になりますとね、色々な思いもかけない様々な問題に出会うと言うておられましたが。
 あちらはもう九十年からになる教会、京都の島原教会の四代目の後継者です。栄四郎といっしょで学院を奥さんと一緒、奥さんをもろうて一週間目に学院に二人で入られたそうで。そして今また全国を回っておられる訳です。昨日は久留米で明日が玉名を打ち上げて帰られる模様です。それにまぁいろいろとそのお話しを聞きよりましたら、こんな話はどこでんしたことはありませんと言うて、涙をぽろぽろ流しながら話されるんです。まぁそういうことですから内容には触れられませんけれどもです。
 何か言う様なものがここにあったんだと思うですね。ここにまぁ私はそれはそのまま私がお取り次ぎをさせて頂かんならん事だと思うて、今朝からもその事をお願いさせて頂いたんですけれども。いうなら今日の御理解でいうならばね、年勝り、代勝りに、おかげを頂いていかなければならないと思います。ならあぁいう歌手をなさっておられるそういう生活が、いつまでも続けられるわけではありませんでしょうから、そりゃ四代も継がなければならない。
 大変入り込んだ色んな事情があるそうですが、杉田二郎というのは本名だそうです。それで実は私にはあのう兄がおります、言うならまだ見ぬ兄である。その兄とはまだ話もしたことはないが、名前が総一郎というそうです。だから長男が総一郎だから、自分は二郎と名前をつけられたんだと言う訳ですね。まぁ本当にまぁ実際は小説よりも奇なりというが、話を伺いますと様々なその初代、二代の時代に色んな事がやっぱりあっておるですね。それでもやはり大変隆々たるごひれいを頂いて。
 今の本部の重職にある例えば、矢代教務部長なんかはあちらの出社だそうです。いくらもごひれいのたつ教会があるという話を聞かせて頂いたが、まぁどういうことの風の吹き回しか、まぁ芸能者と宗教者のその二つをね、まぁ両極端な場に立っておられるわけですけれども、いろいろ話して、私は舞台に立ちましても、あのうやはり先生が御結界にお座りになっておられ、奉仕をしておられるその、そういう思いで舞台を努めさせてもらうと言う事を言うておられました。
 そういう色んな話をしておりましたら、まぁその杉田先生の話を聞かせて頂いて、若先生がもうとにかく二代を継ぎ、三代を継ぎ、しかもあなたの場合は四代を継がなければならない、そういうそのう二代、三代ほど、四代ほどだんだん難しゅうなっていく。どう言う様な事で、二代の時には色んな事が起こったり、三代の時には教会が寂れたりといったようなことになってくるのだろうかと。
 もう本当に私も二代を継がせて頂かんならんが、まあそこんところにまあ色々心砕いていると言う様な意味の事を申しておりましたから、私が他所は知らんけれども合楽は別だぞと私は申しました。但しその信心を疎かにするのではと、けれども私の生き方というものを体得して、まぁ例えて言うならば、ここでは成り行きを尊ぶ、成り行きを大事にしていく、それこそ行く雲流れる水の生き方を見つけて行くと言う事、しかもそこに自然のリズムも聞き取れて、それに乗っての生き方をすれば。
 決して教祖様が嘘をおっしゃっておるような、二代、三代、四代にますます繁盛のおかげになっていく。それをね神のおかげを知らぬから、互い違いになってくる。神様がおかげを下さるというおかげじゃないです。神のおかげというのは神様のはたらきです。だからその働きそのものが、いうならばおかげなんです。だからそのおかげをなら成り行きを尊ばせて頂きながら、それこそ行く雲流れる水のいき方を身につけてさえいけば、若先生、二代だから三代だからという心配はせんでええよ。
 もう日々がその事の稽古ばかりだから、それを問題はマスターするというか、自分の身につけていくいうならば芸能人の方が、その芸に精進される様に信心に精進する、しかもそのリズムにのっての、日々の生き方を間違えんようにいけば、楽しゅう親の代より子の代と言う様に、子孫繁盛の道は間違いない。なぜそれが私が言えるかというと、〇〇教会大変ご比礼を受けられた、〇〇教会それこそ飛ぶ鳥を落とす様なおかげを頂かれた。〇〇教会沢山のお弟子さんが出来られて、もう沢山の出社が出来られた。
 けれども親教会の教会自体の、在り方というものは二代になり、三代になって下げておる事実があるというのと、私の生き方とはもう雲泥の差があるからであります。私の生き方は別に祈念力でとか、とにかくがむしゃらに願って、おかげを頂いたというものが一つもないからです。もう成り行きに従うて成り行きのまにまに、いうならば今日の合楽のごひれいがあるのですから、これをただ受け継いでその成り行きを大事にしながら、尊ばせて頂きながらと言う事は、おかげを知ったものの姿である。
 神のおかげを知らぬからとおっしゃる。そこにどう言う様なものがなら流れる水、どう言う様なものが流れきてもです、それを神様のはたらきとして受けていく。行く雲もうそれこそどうでもよいという、昨日からの御理解という信心。そこんところを頂けれるための精進であり、修行をさせて頂いていく限り、合楽は二代だからというて骨折りはいっちょんないよと。
 先日、日田の御大祭の帰りに、椛目の宮崎さんがの車に此処の西岡先生が便乗させて頂いた。そしてあちらが帰るまで、あのうあちらの宮崎さん夫婦のお話しを聞かせて頂いて、もう本当に感動したと言う事を、その翌日の研修の時に発表しておりました。私も改めてそのう聞かせて頂いて私もその大変感動したけれども、まぁいうならば私共の修行時代というものは本当に涙なしには語られない、または聞けない感じであります。
 末永先生があのうお夢の中に、若先生と二人でカレーライスを食べているというお知らせを頂いたが、いうならばあのうカレーというのは、華麗なる一族という映画がありましたがあの華麗です。ライスというのはご飯ですから、今合楽でおかげ頂いておる家族一同、修行生にいたるまで華麗なる生活、いうならば信心生活をさせて頂いておる訳です。本当に華麗なるまでのそれを感じます。だからそういうところだけを、いうならば知って、そういうおかげの頂けた、そのもとというものを知らない。そういう御理解。
 西岡先生はそこんところをです、今日椛目の宮崎さん達ご夫婦から、いうならば私の修行中の時分に、おばあちゃまが負うたり引いたりして、子供を連れて私の方へ遊びにみえる。そすとありあわせの色んなおやつのようなものを出すと、それを必ず自分が頂かずにもって帰っておられた。もう親先生がその時分は親先生とは言いませんがね、まぁうちの先生がもう一週間も断食をしておりますと。
 ですから他の者もそれぞれに修行をさせて頂いておりますと言うて、まぁそれこそ唐芋一切れであろうがお団子一皿であろうが、まぁそう言う様なものが出されたのじゃなかろうかと思うです。もうあの時分の事を思うなら、そしてもう只々私共が感心しておった事は、そういう逼迫した生活の中にいつも笑い声が絶えなかった、不思議な事だと近所の者が言いよりましたというその話を色々、これは私が知らない話なんです。
 いわゆる宮崎さんが、私の母当りの又は周囲近所の人達がいうたり、見たりしてきたのですから私は知らんのです。そういうあの人たちの話を聞かせて頂いて、聞きながら私自身もまぁ感動したんですけどもです。そういう信心を踏んまえて、それこそローマは一日にして成らずであって、今日の合楽の華麗なまでのごひれいというものは、そういう信心修行のみんなの知らない、私も知らない修行が家族をあげてさせて頂いておる。もうとにかくあちらのすまよさんという、私の妹です。
 宮崎さんが友達ですあちらの奥さんと。だから大変心優しいから何からかにまでしておられる。もうそれこそ先生が信心修行されるその為には、もう自分の身の皮はいでからあの質屋通いをなさったり、売ったりなさったりしよるのを私共はよう知っとるが、まぁよう出来る事だと言うて、そのうまぁ内々話しておったという話も、私も初めて聞いた話でした。そういうならあのう元がある訳ですけれどもです、ならそういう修行を踏んまえての今日ですけれども、なら皆んなもそげな修行をせんならんと言う事ではない。
 そういう生き方の中に例えば、なら私がただもう本当にあらゆる修行させて頂いて、あの修行でもいかんこの修行でもいかん、そこで一番最後でぎりぎり、言うならばそれが後々になって成り行きを尊ぶとか、成り行きを大事にすると言う様に表現するようになりましたが、私の上に起きてくる全ての事柄、私の上に起きてくるそれが、どういう損になる事であろうが嫌な事であろうが、もうこの事を黙って受けて行く修行をさせて頂く、というのが私の最後の修行であった。
 そしてそれが三年経ち、四年経ち、いわゆる五年祭をあと半年に迎えるという四年半目に、初めてその修行が真の信心であり、真の修行であった事が分からせて貰うた。以来成り行きを尊ぶ、成り行きを大切にすると言う事を徹底して合楽では説かせて頂きました。だからそういう食うか食われるかとか裸になっていうならば、修行したと言った様な事ではなくて、いよいよ最後の修行であった、成り行きをいよいよ大事にさせて貰うと言う様な生き方をです。身に付けて行けばその頃はやはり神様のお試しであったと。
 もう普通では出来ない様な言うならば問題、又は普通ではとてもそれは受けられない様な問題、そういうものを私は、まぁ問題はもう本当に受けるという、それを受け切るともう受け切る事に決めてしまってるんです。だからその難しい問題難しくない問題なんてなかった、とにかくもう一切合切を受けて行く生き方をした。神様が四年半目には神が言うなら色んな事をこうやって問題を出したが。そげな事まではせんでもよいぞと言われる位にして来たんです。
 そして言うならばここんところは、まぁ普通で言うならば、受けられない様な所は受けなくてもと言う様に、成り行きを尊ぶとか大切にすると言う事でも、もうみやすう受けれれるところまで消化されておると言う事です合楽の修行は。いつも言う様にホウレン草のいうならば、根っこからひげもついとる、土もついとるそげんとでも、何もかにも一切頂くというたから、それこそ枯れた赤い葉でもそのまま頂いているような、じゃきじゃきするようなものでも、頂いておったと言う様な事がです。
 これからは奇麗に洗うて毛もむしり、いらん所は千切って赤い所はもう捨てて、そして栄養になる所だけを頂くのが、これからの信心だという風に頂いた。だから栄養になる所だけを頂く信心ですから、見やすく難しい事はないです。合楽の信心は。例えば昨日高橋さんのお届けをさせて頂いたんですけれども、もう理不尽にお金を五十万ばっかり引っかけとる人がおる訳です。それでこちらは穏便にいっとおるし、また昨日の御理解を頂くならばです、もうそれこそ引っかけられたとは私ですから三福寿司ですから。
 あんやつが引っかけたじゃなくて、引っかけたつはこちらですから、痛い思いをするのはこちらですから、痛い思いをせせねばならんのはこ、ちらにですからもう先生、これはほうからかしましょうかと言う様なお届けがあったんです。そしたら神様が強硬手段に訴えてでも取り上げなきゃいけん、ですから全然違うでしょうが。だから何でも有り難く頂かなきゃならんというのはそう言う様な、例えばもうそう言う様なところもあるんです。金光様の信心ちゃ、もう本当に馬鹿になりきらなんと言う所じゃないです。
 言うならば頂きよい所だけ滋養になる所だけを、大事に大事に頂いていくというところの、まぁいうならばそこに焦点をおいて、信心の稽古をさせて頂いておるとです、ちゃんとその稽古をしておると、ここは受けてよいここは受けてはならんと言う所が一つのリズムが出て来るからね、分かって来る様になるんです。だから若先生そこまでは体得しとかなければいけないよと言う事であります。だからそういう信心を子に伝え孫に伝えていくならば合楽の信心は、もう今日のここの御理解ですね。
 今日の神のおかげを知らぬからと言う事は、神様は何か下さった、それをおかげとみんな思うておるけれども、神様のはたらきそのものをおかげとして受けると言う事です。おかげを知るでしょう、だから互い違いにならんのです絶対。互い違いになろうごたっときには神様がちゃんとリズムのこれで、言うならば神様がその前後に、いうなら正させて下さる働きが必ず起こってくるです。
 だから合楽で皆さんが信心の稽古をなさるなら、もうそこんところのこつあいというところをです、または兼ね合いというものをです、研究なさる以外にない。この前も高橋さんが二、三日前に福岡からこっちに通うてみえるのに、もう見るもの見るものがです、あのう何とか数字がね、五、七という数字ばっかりが目に付くというんですよ。だからこれは何か神様のお知らせじゃなかろうかとこういうわけです。
 だから私は申しました。ここで毎朝皆さんにこうしてご理解を聴いて頂くでも、これは私が目に頂いておる力、例えば今日のならここを開かせて頂いて、七十八節と七十九節がある訳ですけれども、こちらをどちらを取らせて頂くかという時には神様が七十八節の方に目をやって下さるんです。これはもう私修行中の時分に、福岡から椛目に帰ってくる時分に自動車の中で、あの電車の中でもね、ある時分には掛けると言う事をしませんでした。まあ様々な修行をしておる時ですから。
 吊革を持って掛ける所があったっちゃ立って行きよった。だから立ちながらでも私は眠れるです稽古です。それで、そう言う様な、その修行をしておる時ですから神様がね、退屈しのぎのように「さぁ今日は一つ光りを見よう、光りを探そう」と言うて下さる。そすとタバコの光というのがあるでしょうが。もうそれがある事ある事それはもう本当にそれはちょいとばさらかです。もうとにかくレールの下にもうちょこっとばかり出とる、そげんとまで発見させて下さる、この目を使うて下さる。
 今から思うとです、ははぁ目に力を下さりよったなと思うんですよ。だから高橋さん、ここで信心の稽古をする者は私と同じものが頂けれるんですから、やはりなら私の眼力というなら眼力と申しましょうかね、眼力をあんた頂きよるとかん知れんよと。だからそういう稽古もしなければいけないよと言うて話した事でした。だから皆さんも稽古なさらなんいかんです。新聞でも忙しくてもこうやって広げる時にです、それでもやっぱり必要なところだけは見たい、そこでいうなら目にものを言わせる。
 神様私が必要なところだけ見せて下さい、と言うと目の方が動いてくるです。そしてそこだけを見ると、ちゃんとおかげ頂くような、やはりそういう稽古も合楽の人達はなさらなきゃいかんと思う。高橋さんあんたそう言う様なおかげば頂きよるとよというてから、まぁ言うた事でした。と言う様にですここで信心の稽古をしよると、私と同じようなものが頂けて来る様になるて。そういう調子とかそういうものをです、体得させて頂いて行くならばです。
 ほうらもう我武者羅に地団駄踏んで願うとか、さぁ火の行水の行をするとか、そう言う様な事で人が助かったり、又は霊能的なですね、どんな神様のお知らせを頂いてぽくぽく当たると言った様な先生のところで、沢山な人が助かるけれども、それは二代に続かず三代に続かない。それは一時的なもので終わってしまう、いわゆる桜の花の信心である。けれども合楽の信心はね、神のおかげをおかげと知っての、信心だからというのです。成り行きそのものが神のおかげだと知ってからの、信心だからと言う事なんです。
 だから神のおかげを知らんから、ただ拝みさえすればよかと思うとる。修行さえすればもう神様はもうごうぐるごとしてどうぞ、どうぞと言うてお願いをするから、信者が助かったり、もう自分が助かったりするような道が開ける、そういう道は二代、三代には続かない。神のおかげを知っての信心でなからなきゃいけん。今日は神のおかげを知るところからです、互い違いにはならないと言う事を聞いて頂きました。
 そんなおかげというのはね、頂いておるおかげではなくてです。私の前に現れてくる神様の働きそのものを、おかげと思うから合掌して受けると言う事になるのです。ならその合掌して受けると言う事でもです、ホウレン草の例えば枯れた葉でも髭んとこでも食べんならんと言う事じゃない、もうそこは私が修行し抜いて来とるのであるから、あられぬ行を私はして来ておるのであるから。
 後からの人は滋養になる所だけ、もうむしるところはむしり取って、滋養になっておいしい所だけを頂くような生き方でです。おかげが受けていかれる、お徳が受けていかれるということをです、今日は聞いて頂きました。だからこれはどうでも皆さん、あのう成り行きを尊ぶとか大切にするとか、自然に溶け込むとかと言う事をです、本当に自然に溶け込む事が自然を生かす事だと。
 成り行きを尊ぶ大切にさせて頂く事が神様を大切にさせて頂く事だと。その成り行きそのものを合掌して受ける事は神のおかげを知っておるから出来るのだと言った様なところに、いよいよぎりぎり焦点を置いてです、稽古をなさるならばね。皆んながおかげのいうならば、若先生が昨日言ってました。二代、三代で続かない、いろんな事が起こって来るというのは、そう言う事を疎かにしておる。
 そういうものが全然ないですよ他所の教会では。ただ先生がそうにゃ祈念力が強かった、そうにゃ信者が参ってくるとびっくりするごたる荒修行をしなさって病人が助かったりどんどん人が助かった。というようなことでごひれいを頂いたごひれいなら、必ず初代が亡くなったとたんに火が消えたようになることは、もう勿論間違いないです。教祖様はここんところにです、それこそ親の代よりも子の代、子の代よりも孫の代。
 無事達者で子孫も続き、身代もでき一年勝り代勝りのおかげが受けられる。という道を合楽では私自身が頂いて、しかもみやすう出来る所をです。皆さんに聞いて頂いておるのですから、これは徹底ここんところを皆さんの生活の信心生活の上に頂いて、それこそ天地のリズムが聞き取れるところまでのおかげを頂きなさったら、信心が楽しゅうなってくる。いよいよ有り難いおかげが伴なってくる。しかもそれを子供に伝えてさえいきゃ、代勝りのおかげを受けられると言う事でございます。
   どうそ。